京都地方裁判所 昭和61年(ワ)2575号 判決 1991年3月07日
原告
西山正彦
右訴訟代理人弁護士
菊池逸雄
同
佐々木寛
被告
株式会社徳間書店
右代表者代表取締役
徳間康快
被告
橘邦之
右被告両名訴訟代理人弁護士
村元健眞
主文
一 被告らは、原告に対し、別紙(一)謝罪広告記載のとおりの謝罪広告を、読売新聞朝刊の全国版に、三段抜き二分の一頁に「謝罪広告」とある部分を三倍ゴシック体活字、その余の部分を1.5倍明朝体活字で相応の間隔をとって一回、週刊雑誌「アサヒ芸能」には、一頁に「謝罪広告」とある部分を三倍ゴシック体活字、その余の部分を1.5倍明朝体活字で相応の間隔をとって一回それぞれ掲載せよ。
二 被告らは、各自原告に対し、金一〇〇万円及びこれに対する昭和六一年四月一〇日以降完済まで年五分の割合による金員を支払え。
三 原告のその余の請求を棄却する。
四 訴訟費用は三分し、その一を被告らの、その余を原告の負担とする。
五 この判決は、第二項に限り仮に執行することができる。
事実
第一 当事者の求める裁判
一 請求の趣旨
1 被告らは、原告に対し、別紙(二)謝罪広告のとおりの謝罪広告を、朝日新聞、読売新聞、毎日新聞、サンケイ新聞、日本経済新聞の各朝刊の全国版及び、京都新聞の朝刊には、三段抜き二分の一頁に「謝罪広告」とある部分を三倍ゴシック体活字、その余の部分を1.5倍明朝体活字で相応の字隔をとって一回、週刊雑誌「アサヒ芸能」には、一頁に「謝罪広告」とある部分を三倍ゴシック体活字、その余の部分を1.5倍明朝体活字で相応の字隔をとって一回各掲載せよ。
2 被告らは、各自、原告に対し、金五〇〇万円及び右金員に対する昭和六一年四月一〇日以降完済まで年五分の割合による金員を支払え。
3 訴訟費用は被告らの負担とする。
4 第1、2項につき仮執行宣言
二 請求の趣旨に対する答弁
1 原告の請求をいずれも棄却する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。
第二 当事者の主張
一 請求原因
1 (当事者)
(一) 被告株式会社徳間書店(以下「被告会社」という。)は、書籍雑誌の出版等を目的とする会社であって、週刊雑誌「アサヒ芸能」を日本全国に向けて発行している。
被告橘邦之(以下「被告橘」という。)は、右「アサヒ芸能」の編集発行人である。
(二) 原告は、京都市内に本社をおく株式会社三協西山(以下「三協西山」という。)の代表取締役である。
2 (本件記事の掲載)
(一) 被告会社は、昭和六一年四月初め頃、アサヒ芸能昭和六一年四月一〇日号(第四一巻一四号、通巻二〇六〇号)(以下「本件アサヒ芸能誌」という。)を日本全国に約一〇万部以上販売頒布したが、同誌の二二頁から二五頁において、「志納金方式を編み出した黒幕西山正彦社長のサル知恵」という大見出しで始まる記事(以下「本件記事」という。)を掲載した。
被告橘は、被告会社の業務執行行為として、本件アサヒ芸能誌を編集発行し、日本全国に約一〇万部以上を販売頒布した。
(二) 本件記事中には次のとおりの部分(以下「本件記事部分」という。)がある。
(1) 黒幕西山正彦社長の「サル知恵」(二二頁から二三頁、横書き大見出し)(以下「本件大見出し」という。)。寺側は、「目標はあくまでも古都税撤廃」と依然、強硬だが、その黒幕といわれるのが不動産会社社長の西山正彦氏(三九)。対立陣営から「西山のサル知恵」とまで酷評されながらも、どうして、これほどまでの影響力を持ちえたのだろうか……。(二二頁右上二段抜き見出し記事、六行目から一一行目まで)。
(2) しかし、えらいお坊さんの心をこれほどまでひきつけたご仁にしては、西山社長という人、あまりにキナ臭いウワサが多すぎるのである(二四頁四段目右欄六行目から一〇行目まで)。
(3) 前の会社の共同経営者とは、円満な別れ方やなかったね。一人のほうは、結局、自分の土地まで西山に取られてしもた(二四頁五段目一二行目から一五行目まで)。
(4) 「西山社長は警察と地検に呼び出され、事情聴取を受けました。国宝を勝手に持ち出し、隠匿した疑いです。警察では逮捕状までとって、手ぐすねひいていたんですが、とうとう逮捕にはいたらなかった。もっとも西山氏の会社の社員一人と大雲寺の住職、それに、土地を買った不動産業者一人は逮捕されましたけどね」(府警詰め記者)買うには買ったが、隠匿は部下が勝手にやったことで知らんというのが、西山社長の弁。「法律ギリギリ」を地で行った事件だった(二五頁二段目左欄一六行目から三段目一〇行目まで)。
(5) 「七、八年、いやもう少し前から、彼は寺の売買を手がけているんです。市街地の寺に持ちかけて、郊外に移転させ、ガッポリもうけるやり方です。これが普通の土地なら、いくらで買っていくらで売ったか一目瞭然で、税金もガッポリかかる。ところが、お寺さんの場合、一種の聖域ですからね。売買額なんかいわんから、税務当局も課税のしようがないんですわ。必然的に、間に入った西山さんも、税金なんか払わん(二五頁四段目三一行目から五段目一〇行目まで)。
(6) もっと「えげつない」話もある。語るのは別の不動産業者。「俗に堀川病院事件というやつですわ。西山はここの四人の医者に働きかけて、この病院を乗っ取ろうとしたんですわ。結局、院長がストップをかけて、くわだては失敗したんですが、その後、四人の医者は西山から『責任を取れ』と相当脅され、一人がおわびに指をつめた、というウワサまでありますよ」(二四頁二〇行目から三一行目まで)。
(以下、右(1)ないし(6)の各記事部分を、それぞれ「本件(1)の記事部分」、「本件(2)の記事部分」……のように表示する。)
3 (名誉毀損)
(一) 本件(1)の記事部分について
これら大見出し及び見出し記事の「黒幕」、「サル知恵」という否定的価値判断を加えたラベリングは、一般読者をして「黒幕」、「サル知恵」という大見出し部分に興味、注意を惹かしめ、本件(2)ないし(5)の各本文記事について原告に対する不信感を抱く方向に読者を誤導して原告の名誉を毀損する。
(二) 本件(2)ないし(5)の各記事部分について
右各記事部分は、原告が狡猾であるとか、或いは利権狙いで古都税運動にかかわっているとかの印象を与え、「黒幕」、「サル知恵」という見出しと相俟って原告の名誉を毀損する。
(三) 本件(6)の記事部分について
右記事部分は全く事実無根にして悪質極まりなく、とくに、原告が他人の指をつめさせる人間であるとの部分は、原告の人格に対する最大級の侮辱であって論外であり、原告の名誉を著しく毀損する。
4 被告らの責任原因
(一) 被告橘は、本件記事の編集発行に際し、本件記事部分により原告の名誉、信用が著しく毀損されることを十分認識し、または十分認識すべきであったのにこれを怠った。
(二) 被告会社は、被告橘の使用者であるところ、被告橘は前記のとおり被告会社の前記業務執行行為として本件記事を編集発行し被告会社と共に本件アサヒ芸能を販売頒布した。
5 損害
原告は、本件記事部分によりその名誉、信用を著しく毀損され、精神的苦痛を受けた。
右精神的損害を慰藉するには金五〇〇万円が相当である。
また、原告の社会的評価の低下を原状回復するためには、アサヒ芸能誌が日本全国に頒布されていることに鑑み、請求の趣旨1に記載のとおりの謝罪広告が掲載されることが必要である。
6 よって、原告は、被告会社に対しては民法七一五条、七二三条に基づき、被告橘に対しては民法七〇九条、七二三条に基づき、請求の趣旨記載のとおりの謝罪広告の掲載並びに慰藉料金五〇〇万円及びこれに対する不法行為の後である昭和六〇年四月一〇日以降完済まで年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
二 請求原因に対する認否
1 請求原因1の事実は認める。
2 同2の(一)、(二)の各事実は認める。
3 同3の(一)ないし(三)は争う。
4 同4の(一)の事実は否認し、争う。
5 同5は争う。
6 同6は争う。
三 抗弁(被告ら)
1 (事実の公共性及び目的の公益性)
(一) 本件記事は、以下(二)、(三)に記載するように、公益を図る目的のもとに執筆、掲載された、公共の利害に関する事実及び同事実に基づく論評である。
(二) 昭和五八年一月一八日京都市市議会において「古都保存協力税」(以下「古都税」という。)を制定する条例が可決されるや、かねて右制定に反対していた京都仏教会(以下「仏教会」という。)は、「政教の分離」、「信教の自由」を理由に京都市を相手に右条例の無効確認訴訟を提起するに及び、いわゆる古都税紛争は法的紛争へと発展し、更に、京都市と右条例実施に向けて話し合いが持たれながら、仏教会は、寺院の拝観停止という反対運動(昭和六〇年三月一六日仏教会発表)を開始し、これが、観光都市京都の一般市民、観光客、門前業者ら関係業者まで巻き込む政治・経済、社会問題として全国的問題に発展していった。
右の状況下において、仏教会の古都税反対運動に強く影響を及ぼすそのリーダー的存在もしくは仏教会を代表する存在として原告が登場してきたため、古都税紛争の展開は以前にも増して一般公衆の関心事となった。そして、昭和六〇年一〇月京都市の大雲寺にあった国宝の梵鐘が実相院から消失したいわゆる梵鐘隠匿事件につき、昭和六一年四月京都府警により、右事件の関係者として原告及び仏教会関係者らが取り調べられる事態となり、ますます原告と仏教会とのかかわりが注目されるに至った。
(三) 右のように、古都税紛争は、単に京都の寺院の問題としてではなく公共の利害に関するものとなっていたところ、原告は、古都税紛争の中心的存在として仏教会の古都税反対運動にかかわり、拝観停止の打開策として提案された「志納金方式」の発案者でもあったことから、被告らは、古都税反対運動の実態を仏教会のリーダー的存在である原告を通じて広く社会に知らしめ、この事実に基づき、結論的に、「志納金方式」は完全な解決策ではなく、あくまでも一時的なものであること、したがって、京都市がこれにどのように対応するかが今後の課題であると批判する必要から、本件記事を特集記事として掲載、頒布に及んだものであり、専ら公益を図る目的であったことは明らかである。
2 (本件記事部分の内容の真実性ないし真実性を信ずるについての相当の理由)
(一) 昭和六〇年六月古都税の実施日が発表されるや、仏教会所属寺院は、同年七月二〇日から順次拝観停止に突入したが、同年八月八日京都市との和解(以下「八・八和解」という。)をして拝観を再開した。しかし、仏教会は、同年八月二五日京都市長に今川市長が再選された後である同年一一月、あっせん者会議からのあっせん案を拒否し、同会議は打ち切りになると同時に、八・八和解を公表し、同年一二月再び拝観停止に入り、昭和六一年三月お布施方式(志納金方式)による開門に至った。
このように古都税紛争が昭和六〇年八月の京都市長選挙を頂点として政治問題化する中で、仏教会は、古都税反対運動につき内部から批判が出て分裂を生じ、一部観光寺院の利害を代弁する存在となった。
ところで、本件記事以前に、月刊現代(株式会社講談社)の昭和六〇年一〇月に、ルポライター米本和広による「怪商・西山正彦が京を牛耳る」と題する記事(以下「米本ルポ」という。)や、月刊住職(株式会社金花舎)の昭和六〇年一二月号に常寂光寺住職長尾憲彰による「古都税闘争に仏教会の目浄変革を賭していた私が戦線離脱した真意」と題する記事(以下「長尾記事」という。)、更に週刊誌フォーカス(株式会社新潮社)昭和六一年三月七日号の「オレは昭和の太閤だ」と題する記事(以下「フォーカス記事」という。)などにより、原告と仏教会執行部との深いかかわり合いがあること、原告が仏教会の代表者として古都税反対運動を進め、同運動の指導者的立場にあること等が報道、論評されていた。
(二) 被告会社において本件記事を担当したスタッフは、編集長が被告橘、その下に担当デスク松園、取材記者長綱和幸(以下「長綱」という。)であり、長綱は、昭和六一年三月二五日から二七日にかけ京都市において取材活動を行った。
長綱が右取材を開始する時点で、新聞報道などにより次の三点すなわち、
(1) 大雲寺の国宝・梵鐘隠匿事件に原告が文化財保護法違反の容疑者として関与しており、捜査当局から事情聴取を受けていたこと
(2) 原告が仏教会側の代表者という立場で古都税紛争にかかわり、かつ京都市と交渉していたこと
(3) 仏教会と門前業者ら観光業者との話し合いの場に、原告が仏教会の代表者として出席し、解決策とし「志納金方式」が提案され、この方式が実施されたこと
が明らかとなっていた
(三) 長綱は、原告から直接取材すべく申し込んだが、拒否されたため、地元某新聞記者、吉本年宏(株式会社大成不動産の代表者)、某不動産業者、株式会社三協の某関係者、前記長尾憲彰(以下「長尾」という。)、仏教会の執行部の一人である清瀧智弘、清水寺の門前業者らから、直接面談或いは電話によって、原告の人となりにつき具体的詳細に取材し、その取材結果及び前記事前に判明していた三点の事実を総合的に検討し伝聞の事実についてはその信用性に留意して本件記事を作成した。
そして、本件記事は、デスク松園のチェックを経て、最終的に被告橘が雑誌編集倫理綱領等の見地から再検討をして編集発行したものである。
右のとおり、本件記事は、信頼できる取材事実に基づき論評を加えた記事であり、原告を個人的に非難、攻撃したものではない。
(四) 本件各記事部分について
(1) 本件(1)の記事部分
「サル知恵」との表現は、志納金方式というものが完全な解決策でないことは当時一般的に争いのないところであり、したがって、一時的な窮場凌ぎの方法を表現するものとして使用しただけであって、原告に否定的価値判断を加えるものではない。
(2) 本件(6)の記事部分について
昭和五九年当時、原告が堀川病院に関係して紛争が生じ、同病院の関係者達が非常に困惑していたことは事実であり、同病院の関係者からの法的手続の結果、原告が同病院の件につき手を引かざるを得なくなったこと及び同病院に勤務していた医師が退職し、その中の一人が小指を欠損していたことなどから本件(6)の記事部分の内容の噂が同病院内でもあった。
長綱は、右の話を、地元の新聞記者、不動産業者及び前記長尾から聞き、月刊住職の長尾記事の掲載から「噂」という話で記事にしたものであり、右記事部分を、原告の一面性としてこのような噂もある人だとの意味で記載したのであって、同部分を主体に原告の人物像をとり上げたのではない。
(五) 以上のとおり、本件記事部分が摘示した事実はすべて真実である。
また、仮に、本件記事部分において摘示された事実の中に真実に反する部分があるとしても、被告らには、前記取材の経緯等に照らし、右事実を真実と信ずべき相当な理由があったというべきである。
四 抗弁に対する認否
1 抗弁1の事実中、原告が古都税反対運動、八・八和解、大雲寺の梵鐘問題にかかわっていること、及びこれらが公共事項であることは認めるが、その余は否認し、争う。
2 同2は否認し、争う。
(一) 本件記事部分は、全て真実に反するものであり、読者の低俗な好奇心に迎合する目的で、虚偽事実を前提として原告の人身攻撃をなすものであって、公正な論評たり得ない。
(二) とくに、本件(6)の記事部分について述べる。
原告が堀川病院の医師四名に働きかけて同病院を乗っとろうとしていること自体事実無根である。堀川病院事件とは、同病院経営の合理化をめぐる若手医師らを中心とする職員と当時の理事者グループとの対立である。
医師が指を切断したのは、昭和五九年八月に右堀川病院事件が終息してから相当後の昭和六〇年六月一〇日であり、その原因は、原告とは全く関係のない右医師の私生活上の問題である女性関係の問題から、同医師が自暴自棄の精神状態となって、自宅で自傷行為に至ったものである。この件については、同医師は、京都府警及び京都地検から事情聴取を受け、その旨説明している。
(三) 記事内容の真実性を信ずるについての相当の理由の有無は、主観的憶測の域を出ない解釈や推定、匿名者の供述、オフレコの情報を根拠とするのではなく、報道内容が十分に推定できる程度の確実な資料を数量及び質の両名において収集し、これを根拠としているか否かによって決せられるというべきである。
本件記事部分は、確実な資料が数量的にも質的にも全く欠落しているのに、極めて無責任な伝聞、噂、憶測を何ら裏付け調査もせずにそのまま記事にしたものであって、相当性は全くない。
第三 証拠<省略>
理由
一請求原因1(当事者)及び同2の(一)、(二)(本件記事の掲載)の各事実は、当事者間に争いがない。
二請求原因3(名誉毀損)について検討する。
1 前記争いのない事実及び<証拠>によれば、本件記事は、本件大見出しのもとに、まず、「京都府及び京都市の仏教会の反対の中で、京都市議会が昭和五八年一月古都税条例を可決し、観光都市京都を揺るがしていた古都税問題の経緯の概略」及び「昭和六〇年一二月一日の一二か寺の第二次拝観停止によって経済的打撃を受けたいわゆる門前観光業者の悲鳴の相次ぐ中、寺院側代表の原告が提案した志納金方式によって寺院が開門に至った経緯」を簡単に記述したうえ、志納金方式決定でクローズアップされた原告が仏教会の代表者となった理由、原告の生い立ち、経歴、行状、社会活動等原告の人間像について、地元の新聞記者、不動産業者、寺院住職らの供述という形で記述し、随所にこれに関連した論評(批判ないし判断)を加え、最後に、三カ月期限付の志納金方式に京都市市長がどのように対処するか古都税紛争は予断を許さないとして締めくくっているものであること、したがって、本件記事は、古都税紛争の中で寺院側代表として登場した原告の人間像を中に古都税紛争の一断面を記事にしたものと認められる。
2 ところで、記事が名誉毀損になるかどうかは、一般読者の普通の注意と読み方を基準として、かつ記事を全体として判断するべきである。また、記事の内容である具体的事実を伝聞または風聞(噂)として表現した場合であっても、他人に記事の内容である具体的事実の存在を認識させる結果としては、自ら見聞しまたは取材した事実として表現することと異なるところはないというべきである。
そこで、以下、右の観点に立って本件記事部分を考える。
(一) 本件(1)の記事部分(本件大見出しを含む)について
(1) 前記(1)で認定した事実に照らせば、本件大見出しの「西山正彦社長のサル知恵」との表現は、単に抽象的に原告を侮辱したとはいえないにしても、一般読者には、志納金方式そのものを批判するという意味合いではなく、志納金方式が「原告のサル知恵によって編み出された考えである」との判断と読みとられるものと認められ、そうすると、右表現は、原告の人格を誹謗するものであり、原告の社会的評価を著しく低下させるものというべきであるから、原告の名誉を毀損するものということができる。
(2) しかし、「黒幕」という表現は、かげにあって画策したり指示する人の意味合いであって、必ずしも否定的評価であるとはいえないから、右表現が原告の名誉を毀損とするものとは認められない。
(二) 本件(2)ないし(5)の各記事部分について
本件(2)ないし(5)の各記事部分は、原告が狡猾な人間であるとか、利権狙いで古都税問題にかかわっているとの印象を一般読者に与えるものであって、原告の品性、信用に対する社会的評価を著しく低下させるものと認められるから、その名誉を毀損するものというべきである。
本件(2)の記事部分及び本件(4)の記事部分のうち「『法律ギリギリ』を地で行った事件だった。」との部分は、いずれも論評と認められる。
(三) 本件(6)の記事部分について
本件(6)の記事部分のうち「四人の医者は西山から『責任を取れ』と相当脅され、一人がおわびに指をつめた」との部分は、原告が他人を脅したり、暴力団において不始末をわびる方式といわれている指をつめるという方式で他人に指をつめさせたとの印象を一般読者に与えるものであり、原告の社会的評価を著しく低下させるものであることは明らかであるから、原告の名誉を毀損するというべきである。
但し、本件(6)の記事部分のうち、その余の「原告が堀川病院の乗っ取りを企て、これに失敗した」旨の部分は、これが原告の社会的評価を低下させるものと一概にはいえないと考えられ、したがって、右部分が原告の名誉を毀損するとは認め難い。
三抗弁について判断する。
1 一般に、名誉毀損に関しては、その行為が公共の利害にかかわるものであり、専ら公益を図る目的から行われたものである場合において、摘示された事実が真実であることが証明されたときには、その行為は違法性を欠くものとして不法行為にならないものというべきである。また、もし右事実が真実であることが証明されなくとも、その行為者においてその事実を真実と信ずるについて相当な理由があるときには、右行為には故意もしくは過失がなく、不法行為は成立しないものと解するのが相当である。
また、記事が批評等論評である場合、論評の結果被論評者の社会的評価を低下させることがあっても、①論評の前提である事実がその主要な部分について事実であり、②その目的が公的活動とは無関係な単なる人身攻撃にあるのではなく、それが公益に関係づけられており、③論評の対象が公共の利害に関するか一般公衆の関心事である、との三つの要件を充足するときには、公正な論評として違法性を欠き不法行為を構成しないものと解される。
2 そこで、右不法行為の成立を妨げる要件にかかる被告らの抗弁につき順次検討する。
(一) 本件各記事部分の公共性について
<証拠>によれば、抗弁1の(二)の事実並びに、原告は、仏教会の古都税反対運動にかかわり、拝観停止による観光業者の窮状等に対する打開策として提案された志納金方式の発案者であったことが認められる。
右各事実に照らせば、本件記事は、全体として公共の利害に関するものと認めることができる。
(二) 本件各記事部分の目的の公益性について
(1) 本件(1)の記事部分(但し、前記認定の名誉毀損となる部分のみ。以下同じ)について
被告らは、「西山正彦社長のサル知恵」との表現は、志納金方式が古都税紛争の完全な解決策ではなく窮場凌ぎの方法であるとの意味合いで使用したもので、原告に否定的価値判断を加えたものではない旨主張するが、前記認定したように本件記事が原告の人間像を中心に展開されているものであることに徴すれば、右の表現は、志納金方式そのものを批判したものと受けとれず、このような表現を用いることが、原告の人間像を通して古都税紛争ないし志納金方式の実態を解明するという公益につながるとは到底考えられない。したがって、右の表現は、原告を人身攻撃する表現というべきであるから、違法性を欠くものとすることはできない。
なお、<証拠>によれば、志納金方式による寺院の開門が行われた当時、同方式につき、原告ら仏教会側に対立する陣営から、これが「サル知恵」であるとの批評がなされていたことは認められるが、この事実は前記判示に何ら影響を及ぼすものではない。
(2) 本件(2)ないし(6)の各記事部分(但し、いずれも前記認定の名誉毀損となる部分のみ。以下同じ)について
前記事実及び<証拠>によれば、右各記事部分は、被告会社のアサヒ芸能誌の特集編集記者であった長綱が、昭和五七年以降四年にわたる京都の古都税紛争の中で、昭和六一年三月寺院側から志納金方式という新たな方式が提案されて寺院が拝観停止をやめる動きが出たことから、右方式の提案者であり仏教会のリーダー的人物として古都税紛争にかかわっていた原告の人間像を解明し、これを通じて古都税紛争の一断面を記事にする目的で、同部の編集長である被告橘の主宰する編集会議の了承のもとに執筆したものであることが認められ、これと、右各記事部分は刑事事件にもかかわる事実の報道を含むものであることとを併せ考えると、右各記事部分は、主として公益を目的としたものと認めるのが相当である。
(三) 事実の真実性について
ところで、記事が風評等伝聞表現の掲載でも、事実の真実性の証明は、伝聞の内容である事実自体の真否であると解される。
(1) 本件(4)の記事部分について判断する。
本件(4)の記事部分のうち「『法律ギリギリ』を地で行った事件だった」との部分は、その余の部分である事実の記述を前提とする論評と認められる(以下「論評部分」という。)。
<証拠>によれば、本件(4)の記事部分のうち前記論評部分を除く部分の事実は真実であることが認められ、これを覆えすに足りる証拠はないから、右部分は違法性がないというべきである。
そして、右論評部分も、右真実と認められた具体的事実に即して長綱の印象を率直に表現したにすぎないものと解され、右表現が原告の社会的評価を低下するものとまでは認め難いから、公正な論評として違法性はないということができる。
(2) 本件(3)の記事部分の内容である事実は、これが真実であることを認めるに足りる証拠はない。
もっとも、<証拠>中には、右事実が存在する旨の記載部分はあるが、同部分は、<証拠>中の取材源に関する記載部分に対比し、にわかに採用できない。
(3) 本件(5)の記事部分について検討する。
<証拠>によれば、原告は、仏教会の関係者に対し、自己が京都の中心街にある寺を移転させるということをしばしば口にしていたこと、京都の寺町通りにある天性寺に、寺院の移転を勧誘に来た者があることは認められるが、原告が右勧誘に関与しているとか、原告が寺の移転に伴う寺の所有地の売買を手がけ、これにより税を払わない方法で金儲けをしてきたとの事実を認めるに足りる確証はない。
<証拠>中、原告が寺の所有地にかかる利権を狙って古都税紛争に関与している趣旨の記載部分は、<証拠>によると、政財界に通暁している者(氏名は不明)からの取材に基づき推論されたものであると認められるから、前記事実を証するに足りない。
(4) 本件(6)の記事部分について判断する。
<証拠>によれば、次の事実が認められ、この認定を覆えすに足りる証拠はない。
不動産業を目的とする三協西山の代表取締役である原告は、昭和五四年ころ不動産売買を通して、堀川病院の角谷増喜医師(以下「角谷医師」という。)と知り合い、以来親交があった。
堀川病院を経営する医療法人西陣健康会(以下「健康会」という。)は、地域医療の充実、向上を目指し、数年来病院の増改築のための用地買収に努力していたが、右買収は思うようにいかないまま、昭和五九年二月過ぎには失敗に終った。
これより先の同年二月ころ、角谷医師は、原告に用地買収について協力方を依頼し、健康会の早川理事長に原告を引き合わせていたが、前記買収計画が失敗に終った後、新たに堀川病院の北側隣接地を買収する計画が持ち上がり、原告は、早川理事長宅で、角谷医師ら若手医師四名と数回にわたり右計画実行のための話し合いをした。
その際、話は、かねて角谷医師ら若手医師が問題としていた堀川病院の経営、健康会の組織形態、理事会の構成、人事等に及び、原告は、早川理事長や若手医師らの求めに応じ、新しい医療技術を身につけた医師の導入が必要であること、そのためには病院の賃金体系、経営体質、財政状態の改善が必要であること等を助言した。
そして、同年三月二四日夜から翌二五日早朝まで、京都市の下鴨プリンスホテルにおいて、原告及び角谷医師ら若手医師四名は、早川理事長、日下副院長、池上澄夫ら病院関係者と前記北側隣接地の買収計画について話し合い、最後に概ね左記内容の念書に出席者全員が署名した。
① 三協西山が前記北側隣接地を買収して病院を建築し、それらを健康会に金二〇億円で売り渡す。
② 健康会は三協西山に対し、堀川病院北分院の土地を譲渡する。
③ 念書の内容は外部に口外しない。
右念書作成後、早川理事長の依頼により健康会の橋本常務理事が調査したところ、前記北側隣接地の買収は進捗していないことが判明したため、同年六月下旬ころ、早川理事長は、健康会の理事会にその旨報告し、同理事会において右北側隣接地の買収計画を採用しないことが決定された。
右理事会の決定を知った三協西山の従業員岡本克己、和田徹らは、そのころ、前記買収計画を妨害したとして右橋本理事や日下院長らに対し、面会及び話し合いを強要し、同人らの住居付近で大声を出すなどの嫌がらせ行為に及び、堀川病院関係者らの申請に基づき同年七月一〇日京都地方裁判所の右行為を禁止する趣旨の仮処分決定が出されたことによってようやくこれがおさまった。
右三協西山の従業員らの嫌がらせ行為が行われていたころから、原告が角谷医師ら若手医師四名と共に堀川病院を乗っ取ろうと画策しているとの噂が同病院の内外で流れており、昭和六〇年に入って、同年九月初旬発売の月刊現代誌に、「原告が堀川病院の若手医師を組織し、同病院を乗っ取りを企てたが、早川理事長の判断で未然に防ぐことが出きた」旨の記載部分を含む記事が掲載された。
昭和五九年九月、健康会は、前記北側隣接地の買収問題で同年八月一日付で角谷医師ら若手医師四名及び早川理事長を懲罰処分した。
これに対し、角谷医師ら若手医師四名は、右理事会の対応を批判し、前記念書にかかわる問題につき真相の解明を要求し、病院経営の合理化を求めて行動したが、結局、昭和五九年一〇月ころから翌六〇年三月ころまでの間に、順次堀川病院を退職して、それぞれ他の職場に移っていった。
原告は、前記北側隣接地買収計画が不採用となった際、前記念書の内容が実現されないことになったことにつき憤慨し、その件で角谷医師ら若手医師と話し合ったことはあったが、原告と右医師らとの親交はその後も絶えたわけではなく、右医師らが原告から右買収計画問題に関して責任を追及されたことも一切ない。
被告らは、本件(6)の記事部分の内容である事実は真実であると主張するが、「責任をとれと相当脅かされた」との記載部分はこれを認めるに足りる証拠はなく、かえって、「四人の医者を相当脅した」との部分は、右認定事実によれば事実に反するものといえる。また、<証拠>によれば、角谷医師が昭和六〇年一〇月左手小指の第二関節と第一関節の間を自ら医療用メスで切断したことは認められるが、「おわびに指をつめた」との事実を証するに足りる証拠はなく、かえって、前記認定した事実及び<証拠>によれば、角谷医師が右小指の自傷行為に及んだのは、全く別の理由によるものであること、すなわち、前記日時当時、同医師は、自己の女性関係の問題で精神的に苦悩し、心理的に追いつめられた緊張状態になっていたところ、たまたま車のドアで左手指を怪我した際に、これが右の状態を脱出する転機のような気持になって右自傷行為に及んだものであることが認められる。
(5) 右みてきたところによれば、本件(4)の記事部分については違法性がないが、本件(3)、(5)、(6)の各記事部分については、いずれも真実性の証明がなく、違法というべきである。
(6) 本件(2)の記事部分について考える。
<証拠>によれば、右記事部分は、同部分の後につづいて記載されている本件(3)ないし(6)の各記事部分の総論的なものとして記載された論評と認められるところ、前記認定したところによれば、本件(3)、(5)、(6)の各記事部分はいずれも真実であるとは認められず、真実と認められる本件(4)の記事部分のみでは、本件(3)ないし(6)の各記事部分の主要な部分とは認め難い。
そうすると、本件(2)の記事部分は、真実の事実に基づく論評とはいえないから違法である。
(四) 真実性を信ずるについての相当の理由
(1) <証拠>によれば、抗弁2の(一)の事実が認められ、また、<証拠>によれば、被告会社において本件記事を担当したスタッフは、編集長被告橘、その下に担当デスク松園、取材及び執筆記者長綱であり、前記目的で記事を書くため、長綱は、昭和六一年三月二五日から二七日まで京都に出張して取材活動を行ったこと、長綱は、右取材期間中、図書館で地元の新聞を調べ、法務局で三協西山の商業登記簿謄本を取ったり、原告の住民票を区役所から取り寄せたりしたうえ、地元の新聞記者(匿名)から面談により、市内の不動産業者二名(匿名)から電話により、原告がもと勤務していた大成不動産という会社の吉本社長から面談により、三協西山の元関係者(匿名)から電話により、常寂光寺住職の長尾憲彰から電話により、それぞれ取材したほか、広隆寺住職の清瀧智弘、清水寺門前業者二名からも取材したことが認められる。
(2) しかし、<証拠>によれば、長綱は、本件(3)の記事部分については、前記匿名の不動産業者から同記事部分の内容である事実がある旨聞いただけで、不動産登記簿謄本を取るなど裏付調査はしていないこと、本件(5)の記事部分については、長綱は、前記不動産業者から匿名にするという条件の下に、「(原告が不動産業界でどうやって力をつけたかにつき)原告が寺の土地を扱って、その分野で第一人者となった」旨を聞いたが、右の土地の所在場所の確認その他の裏付調査はせず、登記簿謄本をとったこともなく、右不動産業者自身が右の土地を動かすことに関係したのかどうかを確かめることもしなかったこと、本件(6)の記事部分については、長綱は、前記不動産業者及び前記地元記者らから、「堀川病院事件というのがあり、その際原告が医師の指をつめさせたといわれている」旨を聞いたが、右の不動産業者、記者らは、その医師から右の事実を聞いたということではないとのことであり、長綱自身、その医師や堀川病院関係者らから取材したことはないし、警察関係からの情報の有無につき右地元記者に確認したこともないこと、長綱は、前記長尾住職に対する取材に際しては、同人から、仏教会及び仏教会にかかわっている原告に対する批判や、同人が原告に強い不信感をもっていることなどを話してもらったが堀川病院事件や医師の指つめのことについては何ら話は出なかったこと、右長尾住職に対する取材の際、同人から、月刊住職という月刊誌の昭和六〇年一二月号に同人が仏教会等に対する批判を書いた旨聞き、取材後の昭和六一年三月二八日東京に帰ってから右記事を読んだところ、右記事中に、「早川理事長から、(堀川病院事件に関し)『ある医師などは、原告との関係を断ち切るのに本当に指をつめたほどだ』と聞いた」旨の記載部分があったこと、しかし、長綱は、右記事の裏付調査はしないまま、前記取材の結果をもとに松園デスクと相談の上、予定どおり、原告の人間像を通して古都税問題の断面を書くとの前記方針を決定し、本件記事を執筆したこと、なお、本件大見出しについては、長綱は関与せず、編集長被告橘の出席するデスク会議で決定されたものであること、以上の事実が認められ、この認定に反する証拠はない。
(3) 右認定した事実によれば、本件(3)、(5)の各記事部分の内容である事実については、名前もいえない不動産業者からの伝聞であるのに何らの裏付調査もしていないものであるし、本件(6)の記事部分の内容である事実については、取材した地元記者から警察筋の情報の有無すら聞いていないし、また、前記月刊住職の記事は存在するけれども、長綱は、長尾住職に対する前記取材の際、同人から同人が原告に対し強い不信感をもっていることなどを聞いており、かつ、そもそも医師が不動産業者にいわれて指をつめることが異常なことであるなど信用性を確かめるべきであると考えられるところ、長綱は、右月刊住職の記事において長尾住職に対する情報源とされている早川理事長やその他堀川病院関係者に対する裏付調査をしたこともない。そして、長綱が長尾住職に対して右記事の詳細について確認取材した証跡もないのである。
右のようにみてくると、本件(3)、(5)、(6)の各記事部分の内容である事実を真実と信ずるにつき相当な理由があるとは認め難く、他にこの点を認めるに足りる証拠はない。
したがって、また、本件(2)の記事部分も、事実の重要な部分につき真実でない事実に基づく論評として明らかに相当の理由を欠くものというべきである。
(五) 以上のとおり、本件(1)の記事部分中本件大見出し、本件(2)、(3)、(5)、(6)の各記事部分の各傍線部分(以下、まとめて「本件認定記事」という。)に関しては、記事内容の真実性ないし真実性を信ずるについての相当の理由を認めることはできず、この点に関する被告らの抗弁は採用できない。
四請求原因4(被告らの責任原因)について判断する。
1 <証拠>によれば、被告橘は、被告会社の業務執行行為として本件アサヒ芸能誌を編集、発行したこと、被告会社は被告橘の使用者であることが明らかである。
被告橘は、週刊誌の編集及び発行に携わる者として、記事の掲載、発行に当っては他人の名誉を不法に毀損することのないよう注意すべき義務があるところ、前記のとおり、原告の名誉を毀損し民法上不法行為が成立すると認められる本件認定記事を本件アサヒ芸能誌に掲載、発行したのであるから、右掲載に際し右の注意義務を怠ったものというべきであり、原告に対し民法七〇九条により不法行為責任を負うというべきである。
また、被告会社は、その被用者被告橘の行為によって、不法に原告の名誉を毀損したのであるから、同法七一五条の使用者責任を負うものというべきである。
五請求原因5(損害)について判断するに、本件認定記事の掲載によって原告はその名誉を著しく毀損されただけでなく、著しい精神的苦痛を受けたと認められ、原告の右精神的苦痛を慰藉するための金額としては金一〇〇万円が相当である。
また、本件認定記事の掲載によって毀損された原告の名誉を回復するためには謝罪広告をすることが相当であると認められるところ、本件不法行為の態様、原告の蒙った損害、広告の掲載により被告らの負担する費用、本件アサヒ芸能誌が全国に頒布されていること、被告会社では、週刊アサヒ芸能雑誌の発売広告を読売新聞に掲載しているものであること(このことは<証拠>により認められる。)など諸般の事情に鑑みると、原告の本件申立の範囲内において、本件名誉回復処分としては、読売新聞及び週刊雑誌「アサヒ芸能」に、別紙(一)の謝罪広告記載のとおりの謝罪広告を一回掲載することが相当であり、その余は不必要と認める。
六結論
以上の次第であるから、原告の本件請求は、被告らに対し、別紙(一)のとおりの謝罪広告を主文一項記載のとおりの掲載すること並びに慰藉料金一〇〇万円及びこれに対する不法行為の後である昭和六一年四月一〇日以降完済まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるからこれを認容し、その余は理由がないから棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条本文、九三条一項本文を、仮執行の宣言につき同法一九六条一項をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官武田多喜子)
別紙(一) 謝罪広告
弊社は、「週刊アサヒ芸能」昭和六一年四月一〇日号(第四一巻第一四号、通巻二〇六〇号)第二二頁から第二五頁の西山正彦氏に関する特集記事において、西山正彦氏に対し根拠なく否定的評価を加え、かつ、西山正彦氏が医師の指をつめさせたなどという全く事実無根の記事を掲載しました。
これらの記事により、西山正彦氏の名誉を著しく毀損致し、西山正彦氏、御家族、関係者各位に大変御迷惑をおかけ致しました。右記事中、随所に、西山正彦氏に対する中傷的表現があったことをも併せて、深く御詫び申し上げます。
東京都港区新橋四丁目一〇番一号
株式会社 徳間書店
右代表者代表取締役
徳間康快
週刊アサヒ芸能編集発行人
橘邦之
西山正彦様
別紙(二) 謝罪広告
弊社は、「週刊アサヒ芸能」昭和六一年四月一〇日号(第四一巻第一四号、通巻二〇六〇号)第二二頁から第二五頁の西山正彦氏に関する特集記事において、西山正彦氏に対し根拠なく否定的評価を加え、かつ、西山正彦氏が医師の指をつめさせたなどという全く事実無根の記事を掲載しました。
これら真実に反する記事により、西山正彦氏の名誉を著しく毀損致しましたことを、西山正彦氏、御家族、関係者各位に深く陳謝致しますとともに、右記事中、随所に、西山正彦氏に対する中傷的表現があったことをも併せて御詫び申し上げます。
東京都港区新橋四丁目一〇番一号
株式会社 徳間書店
右代表者代表取締役
徳間康快
週刊アサヒ芸能編集発行人
橘邦之
西山正彦様